練習の「罰ゲーム」は本当に必要か?パワハラ・モラハラの連鎖を断ち切るために

親のサポート・考え方

最近、スポーツ界でのパワハラやモラハラに関するニュースが後を絶ちません。それらを目にするたび、私自身の少年時代や、現在の息子たちの練習環境について深く考えさせられることがあります

特に気になるのが、ミニゲームや練習の最後に行われる「罰ゲーム」の存在です。長男が所属している少年団や、次男が加入したクラブチームでも、負けたチームが走るといった光景を見かけることがあります 。

今回は、親として、そして一人のサッカーファンとして、この「罰ゲーム」という慣習が子供たちの未来にどのような影響を及ぼすのかを考えてみたいと思います。

私たちの時代では「当たり前」だった光景

私たちが子供の頃、サッカーに限らずスポーツの習い事や部活では、練習やミニゲームの勝敗で「ダッシュ5本!」や「グラウンド2周!」といったルールがあるのは当たり前のことでした。指導者も、練習の雰囲気作りや盛り上がりのための「スパイス」として取り入れていたのだと思います。

「負けたら悔しい、だから次はもっと頑張る」。その動機付けとして、ある程度の理解はできます。
なにせ私たちの世代がそうでしたから。
しかし、現代においてそれが本当に「選手のため」になっているのか、「選手に対する正しい対応」なのか改めて問い直す必要があると感じています。

子供たちが発した「本質的な問い」

今の子供たちは、私たちの世代以上に「罰」に対して敏感であり、強い拒否感を示すことがあります。以前、我が家の子供からこんな風に聞かれたことがありました。

「お父さん、試合で一生懸命にプレーしたのに、負けたらどうして『罰』を受けなきゃいけないの?」

この問いに対し、私はすぐに納得のいく説明ができませんでした。 その時は苦肉の策として、「それは罰じゃなくて、他の子よりも多くトレーニングできるチャンスだとポジティブに捉えよう」とアドバイスをしました。しかし、心の中では「一生懸命プレーした結果に対する評価が『罰』であること」への違和感が拭えませんでした。

「自主性」の裏側で起きていた子供たちの葛藤

長男が所属している少年団では、平日の練習に指導者が来られないことが多々あります 。そのため、平日の練習メニューの決定やチーム分けはすべて子供たちに任されています。

一見すると「自主性を重んじている」ようにも聞こえますが、現実はトラブルの連続でした。指導者の目が届かない中で、子供たちは練習に緊張感を持たせようと、自分たちで勝敗に伴う「罰ゲーム」を設定し始めたのです。

その結果として起きたのは、数えきれないほどの揉め事でした。

  • 責任のなすりつけ: 「お前のミスで負けたんだから、お前が多く走れ」という個人攻撃。
  • 不公平感への不満: 「あいつはちゃんと走っていない」という監視と疑念。
  • 練習意欲の低下: 失敗を恐れ、チャレンジよりも「いかに罰を回避するか」に意識が向く。

この結果、子供同士のいざこざで団を辞めてしまった子もいます。指導者がいれば防げたことでもあるため、「罰ゲーム」だけが原因ではないことも理解していますが、現代のハラスメントに通じる「負の連鎖」が、最悪の形で現れてしまったと感じました。

私が最も危惧する「価値観の連鎖」

こうした環境で育った子供たちが持つようになる「価値観の連鎖」こそが、最も深刻な問題です。子供同士で「罰」を与えることが当たり前の環境で育った子が、大人になった時どうなるでしょうか。

  • 指導者になった時: 自分がそうされたように、教え子に「罰」を与えるのが当然だと考える。
  • 社会に出た時: スポーツや仕事のチームにおいて、「ミスには罰があってしかるべきだ」という論理で人を追い詰める。

「罰があるのは仕方ない」「それが普通だ」……。こうした無意識の刷り込みこそが、現代社会で問題視されているハラスメントの本質的な原因であり、断ち切るべき負の連鎖そのものではないでしょうか。

親である私たちの「感覚」をアップデートする

私たち親世代は、まさにこうした「体育会系の当たり前」の中で育ってきた当事者です。だからこそ、多少のシゴキや罰ゲームに対して「まあ、スポーツだしこれくらいは理解できる」と、つい容認してしまいそうになることがあります。

しかし、その「理解できてしまう感覚」こそが、現代社会においては真っ先に正すべき対象であることを自覚しなければなりません。

「スポーツなんだから、厳しい罰やシゴキがあって当然」という考えは、今や子供の健やかな成長を阻害する非常に危険な認識です。親である私たちがまず自らの価値観をアップデートし、「罰による支配」を一切許容しない姿勢を持つことが、子供たちを負の連鎖から守る唯一の方法だと思います。

罰に頼らない「納得感」のあるサッカーへ

スペイン発祥の「戦術構造学」という考え方では、ピッチで起きることを「運が悪かった」で済ませず、すべてに理由がある「必然」として捉えるそうです 。
そこにあるのは感情にまかせた罰ではなく、「どうすれば次は上手くいくか」という冷静な作戦(理論)です 。

次男が「論理的な指導」を求めてチームを移籍した理由のひとつも、ただ走らされるだけの「根性論」や「罰による統制」から抜け出して、「なぜそう動くのか」というサッカーの本質を学びたいと考えたからです 。

我が家では、こんなアプローチを大切にしています。

  • 「なぜ?」を紐解く分析: 成功・失敗の原因ひとつひとつを「一連のプロセス」として親子で振り返ります 。
  • 自分で考える力(主体性): 罰を恐れて縮こまるのではなく、「どうすれば成功する確率(必然)が上がるか」を自分で考える力を養います 。
  • 「できたこと」に目を向ける: 感情で怒るのではなく、その子がピッチでどんな意図を持って動いたのか(戦術的振る舞い)を正しく理解し、チームへの貢献度を一緒に考えます 。

「罰ゲームはただの罰であって、トレーニングではない」

この当たり前のことを私たち大人がしっかり自覚し、子供たちの世界から「恐怖による支配」をなくしていくこと。それが、本当の意味での「良い指導」や「良いサポート」への第一歩だと信じています。

まとめ

指導の現場は非常に複雑で難しく、特に小学生年代のグランドはカオスです。
一筋縄ではいかないことも多いでしょう。しかし、日常の些細な「罰ゲーム」という慣習から見直し、論理的な指導へシフトしていくことが、子供たちの健全な未来を守ることにつながるのではないでしょうか 。

これからも、サッカーに関わる子どもたちがハラスメントの連鎖に巻き込まれることなく、純粋にサッカーの美しさと深さを追求できる環境を、親として全力でサポートしていきたいと思っています 。
また、すべてのスポーツの現場でハラスメントの連鎖が断ち切られていくことを願います。


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